安野太郎インタビュー「美術館だからこそ成り立つ音楽ってあり得るのかな」
2016/12/01
出展作品〈THE MAUSOLEUM〉
数珠つなぎにケーブルで繋がれた合計12台の自動演奏装置が奏 でる音楽作品。 彼らはエネルギーが供給され続ける限り永遠に情報を交換しながら 音楽を生成し演奏します。自動演奏リコーダーの奏でる音楽は「 ゾンビ音楽」と呼ばれ、遥かな未来、 もはや人類が滅びた後の世界に、 永久に人類を葬送する大霊廟として残された施設でなり響く音楽です。
―応募のきっかけを教えてください
安野: さっき向こうの部屋でみせたゾンビ音楽の機械は4台でした。 今まであのような小編成で発表することが多かったのですが、 去年の今頃、 12台の機械が動くものすごい大きな舞台装置を使った作品を作り ました。それを今までのゾンビ音楽とは区別して「大ゾンビ音楽」 と呼んでいます。その「大ゾンビ音楽」 を再び実現するチャンスがないかといろいろ探していた時にAAI Cの募集をみて、企画が通ればまた「大ゾンビ音楽」 が実現出来るかもしれないと思って応募しました。
―テーマ「身体のゆくえ」をどのように解釈しましたか。
安野:ゾンビの一般的なイメージは「身体のゆくえ」 というより身体の「成れの果て」というイメージかと思います。「 成れの果て」は「ゆくえ」 というテーマと関係なくはないだろうなと思っています。 どうもネガティブなイメージになってしまうことが玉に瑕なのです が。
―キューブと作品の関係についてお聞かせください。
安野:そうですね。ゾンビ音楽という活動をしている中で、作品・ 曲を作る他に『ゾンビ音楽史』 という半分空想の歴史を書いてるんですけども。 その歴史の最後に、 僕がこのゾンビ音楽で得た財をウランの先物取引に全部つっこんで 、 それで大もうけしたお金で日本のどっかにある無人島を買い取り、 そこに発電所兼核シェルターを作り、 そこでゾンビ音楽が常に流れ続けるというものがあるのですが。 その話とぴったりくるかなと思いました。 キューブという一つの何もない部屋が。
ゾンビ音楽について教えてください。
安野:説明が難しいですけども…。 普通の人間のカラダによって演奏される音楽は、人間の文明、 その文化の痕跡がくっついていると思うんです。 カラダの使い方だとか出る音もこういう組み合わせは心地良いだと か。良い曲を吹く、 良い曲を演奏するカラダってのはずっと今まで続いてきてた人間の 文化の中で育まれてたものだと思うんですけども、 そういった音楽する身体に備わっている初期設定を人間の都合じゃ なくて機械の都合に寄せて音楽を作ってみたら 、 本当に理解不能な、すごいめちゃくちゃな音楽が生まれて、 そのめちゃくちゃな音楽に名前をつけて「ゾンビ音楽」 となったんです。人間のカラダの反転したというか、 そういうのをゾンビと呼んでみたらどんなんだろうか。 そもそもゾンビは生きる屍だから死んでもまだなおも動いている身 体。意志がなく動く音楽って、 もしかしたら機械の都合というか人間の文化を全部抹消した上で作 られ、鳴り響くようなものなんじゃないかないかなって思って。
―ゾンビ音楽誕生のきっかけを教えてください。
安野:最初はめちゃくちゃ…では無いんですけども。 いろんな形の指使いを、 出音を考えずに指使いだけを考えて曲を作るみたいなことを考えて 。それを人間が演奏すると、 どうしても知ってる音程だとかちょうどいいところとかにに勝手に チューニングしちゃうんですよね。知ってる音程だとか、 ましてや“ちょうどいい” って一体どこからくるんだよと思いました。2人でも3人でも演奏するとなぜか調和した音程にチューニングし ようとしてしまって 、 それは本当に指使いだけを演奏する事になってるのかと思って。
機械のカラダでそれを実現しようとすると、 余計なことを考えないで純粋に僕の考えである「 指使いだけを演奏する」 ということを実行出来るんじゃないかと思ったのが最初のきっかけ です。 その時に生まれた音がなかなか僕自身にも聞きづらいと言うか、 思った以上にめちゃくちゃな音が出て、 これは何かあんまりと言うかひどい音だなってのが最初あったんで すけども。
その時にふとフランケンシュタインの原作を読んだんですよ。 あの話ってフランケンシュタイン博士が墓場から持ってきた死体を 繋ぎ合わせて人造人間を作るんですけども、人造人間を作ったときの最初の第一印象が「ホントひどいな」 って印象だったらしい んですよ。フランケンシュタイン自身が。 これは神への冒涜をやってしまったから、 こんな事やってらんないって人造人間をその場所に捨てて実家に帰 っちゃうっんですよ。 見捨てられた人造人間は最初別に悪いやつでもなかったのに、 フランケンシュタインに見捨てられたとか、 自分の見た目が人間にとっては醜いから町の人から石を投げられた りだとか酷い扱いを受けていく中で、 恨みみたいなのが溜まって悪さをするようになるんですけど。 そういう風になりたくないなと思って。 僕は自分で生み出した機械の音を聞いて酷いと思っても、 フランケンシュタインのお話の場合は原作者がそのあと物語を続け てくれたからその続きがあるんですけども、 僕の場合はそこで辞めたらやっぱりすべて無くなるじゃないですか 。だから変な機械だけど一回面倒をみて腰を据えて向き合ってみよう と思って今に至ると言う感じです。
―ゾンビ音楽の仕組みについて
安野:これまでのゾンビ音楽と、 岐阜でやろうと思っている作品とは1点だけ大きく違います。 現時点はコンピューターの中で笛の指使いを記述して、 指がどのように動くかという情報をコンピューターからそれぞれの 機械に送り届けて動かしています。 その形式は一局集中で行っていて、 つまり一つのコンピュータから複数の機械に送っている。 岐阜の展示では大きなコンピューターを使いません。 小さな端末が全てのの楽器に付いてるんです。 その端末には小さいコンピューターが入っていて、 全て有線で繋がっている。 そのネットワークの中でそれぞれの楽器が情報交換をしあって、 楽曲が常に生成し続ける という形式、つまり並列処理ですね。 12台の機械が並列処理で動いて楽曲を生成し続けるって事をやろ うと思っています。
―新しい挑戦が他にありますか
安野:あともう一つ、僕が今一番よく考えてるのが、 今まで僕の活動は音楽をベースにしていました。、 僕は今まですべて始まりがあって終わりがある表現しかやってこな かった。
美術館で展示される作品っていうのは、 始まりがあって終わりがあるっていうものとはちょっと違うと思う んですよね。 もちろん美術館の会期の始まりと終わりってのはあるんですけど、 絵画作品にしても彫刻作品にしても、 どこが始まりと終わりなんだろう、音楽や映像など時間を扱うアートとは全然時間感覚が違うものを美 術館は扱ってきた のだと思います。で、 僕にとって今まで殆ど考えてこなかった新しい挑戦というのは、 今回美術館で発表する上で始まりと終わりっていうのをどの様に考 えるかとか、 美術館ならではの音楽体験をどう表現したらいいのだろうかと考え ており、その点に頭を悩ませています。
―過去作品について
安野:音楽映画なんですけども自分で全部映像を撮影して、 映像に映っている物を片っ端から声に出して映像を読む人たちがだ ーって読み上げて行くっていう。 単純にそれだけのパフォーマンスをやっていました。 人が一つの風景だったり映像だったりを見る時に、 人によってどれを最初に見てるだとかその見た物をどのような語意 、どのような言葉で表現するかってのが全然違っていて。
それぞれの生きてきた背景だとか、 あと共有してるお客さんの中でも全然違っていて、 映像と声で我々を成り立たせる文化をみたいなものを直接聞くみた いなパフォーマンスを作っています。
―ご自身の事は、芸術家もしくは音楽家、 どちらと考えていますか。
安野:やっぱり音楽家だと思っています。 機械を美しいと言ってくれたり、 綺麗だなカッコイイなって言われて悪い気はしないんですけども、 見た目(意匠)はまるで考えないで作ってるもので。 自分ではあんまり良さが分からないんですよね。
―美術館とゾンビ音楽の組み合わせについてなにか考えるところはあ りますか。
安野: それこそ美術館でやる意味が隠されている 様な気がしていますね。 人が演奏するものは始めがあって終わりがあるってのがどうしても 我々の文化としては絶対ある。
一日も起きて始まり寝て終わるって言う人間の生活サイクルの始ま りと終わりってあると思うんですけど、 機械のカラダになると始まりと終わりっていうのがないものもでき ちゃって。 それこそ美術館だからこそ成り立つ音楽みたいなってのっていうの があり得るのかなって思っています
昔、ある美術家の方から聞いた話で、 その人はポジティブな意味で言っていたのかネガティブな意味で言 っていたのかは分からないんですけども、「 美術館で展示されてる作品はすべて死体なんだ」 みたいな。 その時どういう意味で言ってたのかもちょっとよく思い出せないん ですけど、 美術館に並んでるのは全部死体なんだって言葉だけは印象に残って いて。僕は音楽をやってたからあんまり関係ないというか、 その話を聞き流していただけだったんですけども、 その時の話が今回のArt Award IN THE CUBE (美術館) で音楽を展示するってなった時に死んでる身体というか、生ける屍の(非) 身体が陳列されてるっていう状況はその美術家の方が言っていた、 美術館に並んでいる物は全部死体なんだっていう話と繋がった し、 その言葉を強く思い出しました。
―岐阜県の情報科学芸術大学院大学[IAMAS] での経験は現在にどのように反映されていますか。
安野:IAMASの経験は今の自分と一直線に繋がっています。 いろんな部分で現在でも。 この試みも割とIAMAS時代にやってたものを5、 6年間寝かした後に再び復活させてやり始めたようなものだったり する。その時はゾンビ音楽とは呼んでなかったんですけど、 あらゆる局面であの時の経験は今に生きてます。
―来館者へのメッセージをお願いします。
(これはいつも決め台詞的に言っていますが…)“お前はもう死んでいる”。
2016年11月2日 日本大学芸術学部 江古田キャンパスにて
聞き手:伊藤、構成:鳥羽
これまで2枚のアルバムをリリースし、第17回メディア芸術祭アート部門審査委員会推薦作品(2013)になった安野太郎。彼が2012年から続けているゾンビ音楽プロジェクトの新しい段階が、Art Award IN THE CUBEで見られることになりそうです。「今いちばん頭を悩ませている」という、美術館における音楽と芸術表現のあり方についての考察が期待されます。
(M.T)
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