4/16(日)、日比野克彦館長の公開講評会レポートの続き。
美術館パブリックスペースに設置された8作品目からの講評です。
〈THE MAUSOLEUM―大霊廟―〉は、2m40cmもあるバルーンから空気が押し出され、12本のリコーダーのコンピューターに搭載されたプログラムが、“死者のための音楽”を演奏する作品。シンメトリーで正面性のある作品構造が、宗教的で祭壇のような印象を強めています。
日比野館長と安野さんは、2011年、三宅島全体を〈大学〉に見立てる「三宅島大学」プロジェクトで、日比野館長は企画監修、安野さんはリサーチャーとして共に活動した旧知の間柄です。
日比野「(作曲家出身の)安野くんにとって、美術館展示では最大級の作品。おもしろみを発見したんじゃない? この作品が、自動的に次の作品をつくり始めているところない?」 安野「ある。今、(AAICのために創造力を)出し尽くしている状態で…。ぼくの作品は、ふだんはライブで発表するので、やっても数時間。この作品を見ていると、機械が勝手に僕の欲望をつくりだしているような感じがする」
日比野「プラン応募から、ほぼ1年かけて作品は出来上がっている。次の作品をつくるには、自分の作品と対峙し、次の作品を自作の前で考える時間が大事だよ」
2月のプレイベントでの“館長ゼミ”の折、「搬入後、作品の前で長く佇んでいた安野さんが印象的だった」という学芸員のひとことにピンときた様子の日比野館長。そこから、先輩作家としてのアドバイスをしてくれたようです。日比野館長の、作家としての一面が垣間見えた講評でした。
内側と外側の壁の呼応を意識し、光が降り注ぐ西洋風のモチーフに包まれるような空間です。
日比野「松本さんが、(漆喰に)絵具が染み込んでいく時間、漆喰から布を剥離する感覚が好きなんだろうなってわかる…触感的な作家だね。キューブをいかに透明にするか、呼吸させるかを試みた作品。よくみると、内と外で同じモチーフがあることに気が付くけれど、もうちょっとヒントを仕込むとどうかな、と思うよね。(作品形態/モチーフ/技法の必然の関係に)どこまで気づかせるか」 松本「色が閉じ込められたガラス質の表面を剥がす技法は、西洋では2~300年の歴史がありますが、日本では知られておらず…、必然性がもっと伝わるといいなと思います」
日比野「西洋風のモチーフを描く意図は?天井画を描こうとは思わなかった?」 松本「壁画は、もともと、窓のないところに描いたもの。ですので、自分のいる空間と向うの世界とが関わるというところを描きたかった。…そうですね、天井画もいいかもしれないです」 日比野「日本は、外の景色をとりいれたいとき、借景だったり床の間に掛け軸をかけたり、空間の拡げ方に根本的な違いがある。この作品も、フレスコ技法に馴染みがある西洋では、受け取られ方が全く違う。作品は、発表する場所性、ということがある」
どれだけ観察し理解するかを鑑賞者にゆだねるのか、あるいは、眺めるだけで得られるヒントを出すのか。ふだんは、壁面展示が多い松本さん。空間展示と表現のあり方を新たな角度から照射した館長講評で、気づきも得たようです。
日比野「針をブスッとさして、シューッと糸が通って、キュッと締まる快感。それが好きな人じゃないとここまでできない。人間は、生まれた時にへその緒をつけている。長いものは、思いを寄せる力がある」 中村「亡くなったおばあちゃんが、セーターをほどいて新しい何かを編もうとして、お湯通ししてカセにして置いてあった毛糸とか、使っています」 日比野「この作品は、壁の部分は2人でやっている。僕も昔、半透明のプラスチック段ボールに間に向かい合って、2人一組で縫って絵を描いていくワークショップをやったことがある。予想していたところと違うところから糸が出てくるせめぎあい、見えていないものがカタチとなって現れるスリリングだよね」 中村「そう、ここで制作していたときに、(今まで私がしてこなかった)他者と一緒に作る作品の可能性やワークショップのアイデアなど)次につながる実感がありました」
日比野「毛糸を巻くとね、ふつうは丸い毛糸玉になるんだけど、正12面体になっちゃう人を2人知っている。東京の町田に一人、ブラジルのサンパウロに一人。2人とも障がいを持っていてね、何かリズムやルールがあるのかも」 中村「わかる気がします! 巻いていると『角』がでてくることがある。単純なようで何か発見がありそう」
感覚が合う者同士として館長と話が弾んだ中村さん。講評会終了後の夕方、「正12面体に近いのができました!」と巻いた毛糸を持ってきてくれました。意欲の高揚と積極性が頼もしく感じられました。
自らのテーマについて思考を深めることで、表現や空間構成の独自性にたどりついた堀川さんの作品。日比野館長は、小学生が書いた「ことばによるモノの説明」と、別の小学生がそれを読んで描いた「絵」をつなぐ、堀川さんのドローイングをしばらく眺めたあと、「なるだけ、どの言葉がどう理解されているか、たどり着けなくしている?」と尋ねました。 堀川「分かりにくくしようとは考えていないです」 日比野館長は、「この図ではどの言葉がどこに当てはまっているのかな? 時系列?」と理解しようとしますが、なかなかお互いの言いたいことがかみ合いにくい状態が続きます。
日比野「堀川さんにとって、この作品は、絵画表現なのか、コミュニケーション分析なのか、精神分析なのか?」 堀川「分ける必要はないんじゃないかと思っています。興味があるのは、その人がどう世界をみているのか、ということです」
日比野「文明は、文字をもっているかどうかという尺度で測る。では、文字を持っていない人たちは、絵を描くのか、という実験をやったことがある。文字を持たない島に行って、大きな紙を広げると、彼らは、迷いなく食物などの絵を描いた。つまり、文字はなくても世界観があるということ。自分の中の『記号』が、あたりまえになっている世界と違う世界があるんじゃないか。堀川さんも、世界中、いろいろなところに行くといいかも」 堀川「違う文明の人がどのように理解しているかは、おもしろそうと思いました」
理解や共有についてリサーチする作品を前に、ズレととまどいをお互いに感じつつ、相手の言っている“意味”を理解しようとする2人。まるで作品テーマを具現化したようでした。
自分の講評の番がくると、おもむろにエプロンをつけ、「従業員用入口」からキューブに入った水無瀬さん。「お客様用入口」から入った日比野館長に応対しはじめました。博士課程3年目の水無瀬さんは、今年度の博士論文提出を目標にしています。
日比野「 博士論文では、どんなことに興味をもっているの?」 水無瀬「DEMO DEMOと共通する視点では、ボートハウス。建築物をある土地に設置すると固定資産税がかかる。そういう社会のルールに対し、ボートハウスに住む人たちは、単にお金がなくて維持できないというよりは、反消費社会的な立場で、そういうライフスタイルを送っている例が外国にはある。違法ではないという意味では合法なのですが、定められている法の理念に適っているかといえば、必ずしもそうとは言えず、正確にはグレーゾーンであると思います。単なる社会批判ではなく、ユーモアの視点で社会を変えていっているのがおもしろい」
日比野館長は、自身の思考と共鳴するものを感じたようで、エールを送りました。「アートは、社会の隙間をついて問題解決をしていくことができるんだよね。がんばってください」
谷本さんはこの日都合がつかなかったため、日比野館長だけで講評を行いました。
「粘土や焼きものが散乱していて、完成されたものの先、解放された状況になっている。作家は、自分の身体や性格を知り、見つけていくことが大事なんだけど、谷本さんは、もう見つけて、それに抗うことなく創りはじめている。(意図しない行為からの創作を続けると)“無意識を意識する”ことになり、苦労するものなんだけど、本人と話してみると、意外と天然で(笑)、フワーッと越えていくかな、と思いました」
ものへの破壊的な行動を精神的な昇華としたり、理論的に身体の反応を使っている場合、壁にあたる作家もいるのですが、全くそんなことはなく、“天然”に変化にしていきそうな谷本さんなのでした。
眠気が強い状態で無理やり喋る実験映像と、モノが何かに憑依されたようにざわめく空間。視覚・聴覚に入ってくる刺激を発した存在を確かめようと、注意力が複数の現象に向けられ、また、驚きに後ずさる・目を凝らして観察するなどの反応が起きます。実験的な試みにより、人間・意識・ものなどの存在の曖昧さを提示していく作品です。
日比野「もの=かたちが身体なのか? 意識が身体なのか? 身体の『ゆくえ』の部分に着目し、身体がどこへ行こうとしているのか?を考えている。意識が抜け出た身体は抜け殻なのか。ミルク倉庫+ココナッツは、8人グループで、(昨秋、制作中にメンバーの一人が急逝し)7人になったが、今日はきっと8人いるよ」(一同笑)
日比野「AAICは、単なるコンペではなく、作家支援があったけれど、そのあたりはどう?」 ミルココ「そうですね。制作期間中だけでなく完成後にもメンテナンスも含めて岐阜にいる時間が長かった。濃い時間を過ごしました」 日比野「これまでは、作家が応援される期間だったんだけれど、これからは、入選した作家たちは、3年後に向けて、それぞれ自主的にAAICや岐阜で何かやるといい、アイデアができたらそこにいる鳥羽さんへ(笑)。この展覧会は、生まれたばかりのアートアウォード。作家・鑑賞者の皆さんでつくっていくもの。次回は、2020年、ニーマルニーマル岐阜、だね。盛り上げていきましょう」 と会場へ呼びかけました。
実家が、埼玉県のシイタケ農家の三枝さん。今回、唯一の屋外展示のキューブですが、応募から現在の姿にいたるまで、キューブの形状やプランには紆余曲折がありました。しかし、本人のなかで、より研ぎ澄まされていった手ごたえがあったようです。
三枝「東北大震災以降、福島からのシイタケの原木が入ってこない状況が続いて、今、実家では、群馬から原木を届けてもらっています。せっかく新しく築いた関係でやっと手に入れた貴重な原木なんですが、(展示してある原木の)裏側は皮が剥げていて、乾燥していて使えないんです。それが庭にあったのを、1本くらいならいいかな思って、黙って運んできて置きました(笑)。オープニングのときに(授賞式に来ていた家族に)ばれました(笑)」 日比野「毎年新鮮な原木じゃないと使えないの?」 三枝「3年くらいは使えます。でも、栄養をシイタケに吸い取られるので、だんだん使えなくなるんです」
日比野「キューブは、床の色を石畳に馴染ませるため、ファクトリーチームに相談して、職人がエイジング加工したんだね」 三枝「キューブの設計について打ち合わせしているうちに、茶室のことを知って影響を受けました。東京国立博物館に移築されてる『転合庵』は、小堀遠州が、ある茶入れを手に入れたときに、その茶入れの為だけに建てた茶室なんですね。1本の原木のために建てるキューブがあってもいいかなって。あと、茶室の躙り口の引き戸は、板を2枚半使っているんです。つまり、そこで終わらないということ。ピンときました」
東日本大震災からはじまった庭の変化を扱い続けてきた、インスタレーションシリーズ〈庭のほつれ〉。三枝さんは、AAICで、その核となる存在の原木を初めて扱い、ただそれだけで展示を構成しました。キューブという環境を考え抜くことで、岐阜では実感しにくい東北の現状を、真に感知させる風景を現したといえるでしょう。
講評会の最後は、爽やかな青空の下、ゆったりとキューブの土台に座っての会話となりました。日比野館長との公開講評会を通し、自身の強みを肯定され意を強くした作家も、AAICのような形態の発表シーンで補強すべき要素を投げかけられた作家がいたと思います。それぞれが、自身との対話を深めるヒントにしていくことを願っています。
(Miyako.T)