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佐藤雅晴インタビュー「“身体のゆくえ”は僕にとって現実問題。生と死、希望と絶望を日々創造していく」

<HANDS>

人々が手を使って世界と関係を結ぶ実写風景と、手の部分だけをトレースしたアニメーションが混在する映像作品。作家にとってトレースとは、対象を「自分の中に取り込む」行為であり、それは目の前の光景への理解を深め、関係を結ぶ行為といえます。膨大な枚数の作画は、デジタル機器を駆使しつつ、自らの身体・手を使い生み出しているのです。


―応募のきっかけを教えてください。

佐藤: Facebookを見ていたら誰かが応募のリンクをはっていて、何か面白そうな公募だったので。

―テーマ「身体のゆくえ」をどのように解釈しましたか。
佐藤:僕にとっての「身体のゆくえ」というテーマは現実的な問い。6年前から癌を患って、2回手術をしていて。上の顎をとったんです。2ヶ月間抗がん剤と放射線治療で入院していた体験があったので「身体のゆくえ」と聞くと自分の身体がこれからどうなっていくか、生と死、希望と絶望がテーマというか、概念的な事ではなく個人的な現実問題として捉えた。

 ―作品への思い、制作について。なぜ「手」を題材としたか。
佐藤:上顎を摘出したので入れ歯が入っているんです。毎日歯磨きをする時には下の歯は歯磨きするんですが、上は上顎の入 れ歯を取って歯磨きをするんですね。入れ歯を歯磨きしていたある時、入れ歯は身体の一部分なんだけど人工物、だけど自分の物という変な感覚に捕われてそれを歯磨きしている手、歯を磨いている自分で手を動かしている感覚が不思議な感覚におそわれて、入れ歯が無機質な物ではなく生きているようなものに感じたのが手に伝染していって手って面白いなって不思議に感じたのがきっかけ。

―キューブと作品構想の関係についてお聞かせください。
佐藤:作品構想の時にキューブという展示場所・展示空間を一緒に考えてしまうと作品が固くなりそうだったので、キューブという要素を考えずにどういう作品を創るかを考えていた。こういう作品を創ろうとイメージが固まったと同時に、どういう風 に展示をしようか考え、初めてキューブを意識したんですけど、映像作品の音を最大限に活用出来る箱、スピーカーという感覚で捉えられるようになった。キューブはスピーカーみたいな物として展示作品になる

 ―キューブを一つのスピーカーと捉えるということですね。もう少し詳しくお聞かせ下さい。
佐藤:今回キューブの中でiPadを数十台置こうと思っているんですけど、1台、1台のiPadからは音が出ていて、数十台を一つの箱の中に同時に納めると、鑑賞者は聞き取れなくなる。一つ一つの音が重なっていくので、一つのノイズみたいな感覚で作品を鑑賞すると思うんですね。キューブを離れてみた時に、まるで一つのスピーカーのような感じになるんじゃないのかな。

―キューブがスピ ーカーの様な存在に感じられるかもしれない?
佐藤:展示の空間みたいな感覚で捉えない方か良いのではないかと思って。今回の芸術祭の言葉も「キューブ」とあえて言っているじゃないですか。「展示空間」と言えばいいのに、あえて「キューブ」と言っているのは、何か違う想像をしなさいと言っているのではないか、そうなると頭がワシャワシャしてきて展示をどうしたら良いか解らなかったけど、キューブをスピーカーと捉える事で自分の中にスッと入ってきたじです。

 ―「手」というモチーフ、そしてiPadという手で触ることを前提にしているツールでの上映。対して、そのツールに観客は触ることができないという展示の意図をお聞かせください。
佐藤:人って、「見てはいけない」と言わ れると見たくなるじゃないですか。iPadが置いてあって映像が流れてて、iPadだから触れるのかなって思うけど、でも展示物だから「触ってはいけません」となっていて、余計に触りたくなると思うんです。そこで触る=自分の手を使うと考えた時に、映像の中で手がモチーフになっているので、見ている人が作品に入っていけるんじゃないかと思っていて、iPadとかiPhoneみたいな触って成立する道具を、あえて映像を映す道具に使おうと考えています。

実写をトレースする行為とは佐藤さんにとってどのような行為でしょうか。
佐藤:小学校の頃に課外授業でスケッチ大会があって、先生が褒める絵はダイナミックに山や建物を描いたり、色彩豊かに描いたりした絵。けど、僕が興味があったのは気に入った 山とか建物を忠実に写生すること、どれだけ忠実に絵で再現できるかだった。小さい頃から、絵を描く行為が、写生や忠実に再現する事だったので、今やってるトレースをする作業は最大限の表現です。表現=現実にある自分の身の回りにあるものとどう接していくか、コミュニケーションをとっていくかの儀式的なもの。儀式という言葉に置き換えたんですが、トレースをする行為は表現という感覚に近いです。

―フルアニメーションから、実写部分を残す(トレースに焦点を当てる)表現へ変化がありましたが、この変化にはどのような意図、またはなにかきっかけがあったのでしょうか。
佐藤:答えが出ていなくて……。きっかけというのは、外からやってこないというか。新しいアイデア・創造は、 雷を打った様に閃くのではなく、自分の中に無意識に蓄積されたアイデアが、塵が積っていってある時タガが外れるというか、瓶の中に溜まっていって積りすぎてこぼれて初めて気づく。実写とアニメーションを合体させたらどうかというのは自分の中にずっとあったと思う。それに対して、ある時一緒にしたらどうだろうと気づいた…、閃いたというよりはある時気づいたっていう感覚ですね。

―普段の創作活動において大事にしていることは何ですか。
佐藤:アニメーションなので、凄い枚数を書かないと、数秒から数十秒、数分間の作品ができないんです。とにかく毎日・毎日の積み重ねがないと作品が出来ないという事を肝に銘じて(楽しいですが)、辛い時もあって、辛いとき は積み重ねが大事なんだと言い聞かせて。
影響を受けたものとしては、〈HANDS〉は、フランスの映画で『ラルジャン』(L’Argent)。フランス語で“お金”という意味なんですが。青年が偽札を使って犯罪を起こして人生が悲劇になっていくんです。登場人物の俳優さんが素人で、演技らしい演技ではなく、しゃべったり行動したりするのを淡々と映像で撮っているんですけど、とにかく手がでてくるんです。偽札を掴んだり、人を突き放した手とか、人を刺しているシーンとかいろんな場面毎に、重要な場面になると手のアップになるんです。その映画は手が物語を語っている構造になっていて。映画は大学生の時にみたんですけど、ずっと気になっていて、最近見返してしたらすごくおもしろくて、今回ハンズ(手) で映像作品が造れるんじゃないかなと思った。
基本的に、映画が好きなので映画からインスピレーションをうけて作品を構想しています。

―過去作品について教えて下さい。
佐藤:<東京尾行>は、東京の街に出て人とか花とか動物とか建物、気になった物を片っ端から映像に納めていったんです。その映像の中から気になった場面を選んで場面の中から気になった物をトレースして作品にしていった。それらをいっぱい集めて展示しました。そういった意味では、観光客になった気分で東京を見て、観光客的な感覚で記録した映像が作品になったようなものが<東京尾行>です。

―ドイツのデュッセルドルフに10年間滞在されていました。作品にどのような影響がありましたか。
佐藤:ドイツに 渡って2年間は芸術大学に通ったんですけど、ビザが切れて日本に帰るかドイツに居続けようかと考えた時に、ドイツに居たいなと思ったんです。それにはビザが必要で、ただアーティストビザが取れなくて、アルバイトをしていた日本居酒屋に就職したんです。
そこから10年間のうちの半分以上は、居酒屋で料理を作っていたんですね。面白いのが、日本から離れて、かつ自分がやってきたアートからも離れたんですね。ドイツに行ったおかげで。凄く辛かったんですけど、ある意味作品を作ることから一回離れたおかげで一から考えられるようになった。今までは作家になりたいとか、こういう表現をしたいとか格好つける感じでアートを捉えていたんだけど、 自分ができる事はこんなものでしかないと開き直れた。「こんなものしか出来ないよ」と思えたっていう意味で、ドイツに行ってた10年間というのは(10年間掛かったんですけど)、もう一度アートと接する距離が自分の中で測れたという意味で、自分にとって良い10年間だった。

―佐藤さんの後ろに「手」をモチーフとした作品が飾られていますが、これについてお話いただけますか。
佐藤:この作品は2008年頃、ドイツにいた時に描いた平面作品です。基本的にアニメーションの作品と同時に平面の作品も描いてて、これは、ドイツの森で撮影して、その写真をPhotoshopでトレースして、木とか葉っぱとか手とかを再現しているんです。当時の平面作品は、見た夢をモチーフにしてて。ここに妻が描かれているん ですけど、妻が僕を掘りおこそうとしてるか埋めようともしてるのか、覚えてないんですけど、そんな夢を見て、それを1枚の絵で再現してみた作品。

 

 ―夢の中でも手があったという感じ?
佐藤:掘り出そうとしてる映像・夢があって、その時に見えていた身体の一部分が手だった。これは絵として作っているんで、こんなちゃんとではなく。夢の中では手の一部分が見えていた。それが巨大だった。

―来館者へのメッセージをお願いします。
佐藤:アニメーションは作業量がすごい多いので、展示までに作業を終わらせる事を目標に頑張りたいと思います。見終わった後にお客さんが自分の手を見たりとか、周りにいる人の手を観察したりとか、見終わってから作品が影響していく・伝染し ていくというようなものになればいいかな。

2016年11月7日 茨城県取手市にてインタビュー

聞き手:伊藤、鳥羽


作家は、実写とトレースの混合という独自の手法により、自らの身体を通過させた「手」にスポットをあてます。観る者は、作家のまなざしを通し、身体性や手の新たなイメージを経験します。作家と自分、人工物と自己の身体が交錯する感覚を味わいながら、世界との関係性を探る機会を与えてくれることでしょう。

(M.T)

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