4月23日、AAICを開催中の岐阜県美術館に森村泰昌氏をお招きし、講演会「身体のゆくえ」を開催しました。
セルフ・ポートレイトシリーズで知られる森村氏は、「身体と美術」に向き合い続ける作家と言えます。美術史への豊かな知見と解釈を背景にした作品制作、横浜トリエンナーレ2014アーティスティックディレクターなど多岐にわたる活動を行う森村氏ならではのまなざしで、「身体のゆくえ」について、論じて頂きました。
講演会前に、AAICをじっくりとご覧になった森村氏。冒頭でその感想を述べられました。
大賞のミルク倉庫+ココナッツ〈cranky wordy things〉は、「配線がCUBEの外壁にむき出しになっていて、身体・血管のよう。一つひとつのCUBEが、それぞれの作家の身体のように見えた」と、AAIC全体を捉える新たな解釈を教えてくれました。
導入に、動物行動学者の細馬氏の著書『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか―アニメーションの表現史』を紹介。映画がサイレントからトーキーに移行していく1928年に公開された「蒸気船ウィリー」は、ミッキーマウス主演第一作です。ミッキーマウスの記念すべき第一声は、“口笛”でした。そのシーンを一コマずつコマ送りで観察し、足で拍子をとり・腰をふり・頭でを揺らし、体全体で全て違うリズムを表現しながら口笛を吹き、その合間に「息を吸う」という、「ミッキーマウスが初めて息をした」動きを“発見”した細馬氏の考察を、ご自身の体を使って説明する森村氏に、会場からは笑いがおこりました。
アニメーションの語源、animaは、生命や魂を現すラテン語です。森羅万象に生命が宿るという事象が、ディズニー初の短編アニメーションで、ミッキーが“初めて息をする”という身体の動きで現されていたのでした。
そして、話題は、『介護するからだ』(細馬宏通,2016)と『変身』(カフカ,1915)という、約100年の間隔で刊行された二冊の書物を紹介しつつ展開します。
ダンサーの佐久間新さんが、車いすの女性と二人で、打合せなく自然に“ダンス”ができたのはなぜか、手を机につかないと立ち上がれない女性に、お膳を下げるために必要な動作を分解し誘導する、経験豊富な介護現場の職員…。
そこから導き出されたのは、「転用・ズレ・一からでないやりなおし」の3つが、別のストーリーを生み出し、環境と身体のセッションを生み出す、ということでした。
『変身』では、「虫」と日本語訳されていているドイツ語が、「有害生物・害獣」の意であることから、家族にとって“有害な存在”となった主人公グレーゴル・ザムザが、カフカ自身のコンプレックスや抑圧の反映であったことが、「転用・ズレ・一からでないやりなおし」の解釈とともに、示されていきます。
そして、講演の最後、カフカのポートレートに扮したご自身の作品画像を背景に、ザムザ一家の郊外への遠出を描いた終章を朗読。それは、グレーゴル・ザムザの妹の若く健全な身体を描写した場面、「未来へ続く身体」を象徴するシーンでした。
「転用・ズレ・一からでないやりなおし」は、森村氏の創作活動をも投影したものなのか―語られなかったその点について、後刻、質問を投げかけると、「意識はしていない」とのこと。
行動学者にとっての観察・分析、小説家にとっての自己投影・執筆、そしてそれらに出会った森村泰昌の創作とは―。明かされない謎と余韻を残して、トークイベントは終了したのでした。
(Miya.T)