記事


耳のないマウス インタビュー「自分たち自身が幸せに楽しく自由に生きていける身体でありたい」

<移動する主体 (カタツムリ)>
現代社会では、経済活動における有用性において物事の価値が判断されている。しかし、日常は、習慣化された思考から離れれば、今よりももっと、おぞましくも滑稽にも、または美しくもなり得るだろう。手遊びの“カタツムリ”の形をした器官が表す記号と、それが指し示す対象との差延により、自明のものとして受け入れている価値観に疑問を投げかけていく。


―応募のきっかけを教えてください。
松田: ずっと身体のパーツを使った作品を作ってきていたんですけど、その作品の展開をできる機会をさがしていた時に、石射さんが見つけてきてくれて。コンセプトや岐阜県美術館で開催された説明会に共感して応募しました。
石射:ちょうど個展の次の場を探していた時に、たまたま、Art Award IN THE CUBE 2017を知って、「取り扱っていたテーマと似ているんじゃないか、こういうのどう?」とみんなに投げてみて、「もしかしたら合うかもしれないから、説明会やってるし、行ってみようか」と。

―テーマ「身体のゆくえ」をどのように解釈しましたか。

松田:「身体がどこからきてこれからどこへ行くのか」という進化の話ではなく、「現状のこの社会で、自分たちがどのように自身の身体を扱っていきたいかを問われている気がして。私たちは、社会の中で役割を与えられている。でもその役割の達成のために生きているわけではない。身体や個人が、誰かのためにではなく自分たち自身が幸せであるように楽しく自由に生きていける身体でありたいと解釈しました。

―キューブと作品構想の関係について教えてください。
雨宮:作品に至るまでのディスカッションで、宇宙の縁・際をテーマにして思考や表現したいものを深めていくプロセスが多かったんですね。今回、ある種制限のようなキューブが、空間・場として宇宙の縁を表現する。
松田:私たちが社会を作っているんですけども、それって言葉の制約が多いし、それの外側には出られないわけですが、使い方を変えることで、いつもと違う場所を歩いてみるとかができるんじゃないかというのがコンセプトの大元にあって。作品のコンセプトの元の元は、“四角いキューブ“が比喩的に繋がっているんじゃないかと思っています。
石射:キューブが制約ではなくて表現する上でのツールの一つになり、キューブが存在すること自体がむしろ、ひとつのチャレンジのいいきっかけであるのじゃないか。

移動する主体(2016)

― キューブの“縁”が宇宙の際や身体の役割を考える上で、実は大事なところ?
松田:縁は大事。「天井を塞いじゃった方が照明とか空間のコントロール、中の演出するにあたって良いのかな」という話が出たのですが、“箱自体が異空間で一歩入った所が外と違う世界”っていう線をあまり出したくなくて。日常の延長線上に部屋があって、カタツムリ達は縁の外側に越えていけてしまうし、外側からも入って来れるっていう空間というのは大事ですね。
石射:だから天井は付けない、行き来出来るような空間にはしたかった。でも壁というか縁というか境界になるものは明確にしておきたかったんで、意味はすごく大きいなと思っています。
石倉:縁に垂らすというか、「行って来ているみたいな状態にしたいね」という話はあって。なぜかというとカタツムリが超クローズドの世界で生きているのではなく、外からも入ってくるし、中からも外にも行ってる連続性は残したいから、「そこをうまく“縁”とカタツムリで表現したいね」と話している。
松田:四角って、四角四面の頭の固い人っていうイメージがあるけど………。
雨宮: 〈箱の中に入っているのはどちらか〉を過去二回やってきて。真っ暗にしてある四角い箱があってそこの中に来場者が顔を入れて、防音にしてあるので視覚と聴覚が遮断される空間。狭い世界のはずなのに、“縁”が解らないので広い世界にいる様な錯覚をもたらしてくれるというもの。
認知の壁は、そこに存在しているように見えて、実は自分の中で生み出しているんじゃないかという問いを投げかけたいという発生地点があり、その問いをずっともち続けていて。今回キューブという物理的な壁・空間の縁を、日常の延長として空間が続いてるようにしたい、そこはある程度閉ざされた縁のある空間で、その縁をどう認知してどう解釈するかは作家もそうだし、来る人次第でもある。

―なぜ他の手遊びの形ではなく、カタツムリを採用したのでしょうか。
雨宮:記号の実体がないにも関わらず、実体のある身体の方が切り離されずその記号に引きずられてしまっているところが、私達が疑問に思う、社会にびっちり喰いこまれて毎日の暮らしがこれで良いんだっけ」ということを表現しているような気がして。それで、蝶々とかよりもカタツムリに気持ちが向かっていった。

―作品コンセプトにある「普段あまり浮き上がってこない一面を切り出す試み」とはどういったことでしょう。
松田:普段見えてる世界って見慣れちゃって、目に止まらないことが沢山ある中で、目に止めてみようって意味ですね。もう既にあるし、気付いてないだけで全てここにあって、いつも使ってる言語を使って、その使い方をちょこっと変えるとこんなに気持ち悪い世界があった、っていう感じです。
このプロジェクトが始まった頃、近所に住んでる3歳の子が保育園に行きだした。保育園から帰ってきて「楽しかった?」って聞いたら「楽しかったよ、朕佳ちゃんも行きたいの?」って言うから、「行きたい、行きたい」って言ったら、「じゃあ、もうちょっと小さくなったらね」って。小さい子が保育園に行ってるから、小さくなったらいつでも来れるよ、っていう解釈で。その子はきっと“もうちょっと大きくなったらね”っていつも言われてる。確かに小さくなれば行けるんだなってすごい印象的で。明日、ひとつ歳をとるか、ひとつ若返るかは、経験上は歳をとるんだなってわかっているだけで、言葉の上ではどっちでもいい話で、色んな方向に進みうる世界だなと思って、その世界を掘り下げてみたいなって。

アーティスト 松田朕佳

―「今回の作品は前回の作品の再配置で終わりたくない」とおっしゃっていました。
雨宮:持っているテーマ・問いは一年ちょっとそんなに変わってない気はしていて。今回この問いが、どういう形でキューブを包むか、私達の問いをキューブと掛け算したら、出てくるものは全く変わってくる。
石倉:作品を作っていく中で変わっていくと思うし、(Art Award IN THE CUBEでは)キューブがいろいろある中に一つのキューブに入っていくので、キューブという空間はどうしても何か意味を持ってくる。意味を持ってくるのは避けられないが、それをどう活かしていくのか、キューブをなるべく意識させないのか、何かしらの意味をつけ、今やっているカタツムリの物を置いておくのか、どっちになるのか。“縁”は関係してくる気がしていて。天井をつけないで、行ったり来たりしているカタツムリをつけ、縁の存在をあえてイン・アウトができるんだよっていうメッセージに変えていく成になっていくのかなというイメージでいる。

デザイナー  石倉一誠

―耳のないマウスは、3331α Art Hack Day 2015で結成された混合チーム。結成の経緯をお聞かせ下さい。
松田:朝9時に集合してその日の6時にチームを作らないといけないというイベントだった。元々面識は全くない人達が、それぞれに応募してそれぞれ通って参加した。60人位集まってて、半分が作家系で半分位がエンジニア系で、5分置きにテーブルを廻って、何かしらのテーマで話をして最後にプレゼンしたい人がプレゼンをして、どの人とチーム組みたいか、みたいな。偶然。
石倉:自分はこういう作品が作りたいです、よかったら一緒にやりませんかっていうセッションがあり、10秒位ずつ全員の前でアイデアを説明していく。チームを作る時に、アイデアをプレゼンしたあの人はこういう考え方をするな、こういう考え方が面白かったからこの人とやりたいみたいなのが集まって結局固まった。
石射:午前中はブリーフィングというか頭を温めて、お昼ご飯食べて、午後からシャッフルしてブレストを3〜4時間位やったのではないか。その後に休憩があって、アイデアを持っている人がシートに書いて、ピッチって程でもないんですけど、「こんな事をやりたい、一緒にやる人いませんか」を発表して壁に貼っていって、発表してない人がどのアイデアに乗りたいかを投票して集まる。
決戦投票式で、集まらなかった人は落第で、残っているアイデアのどっか行ってください、で最終12組位になるまでそれを繰り返していくのですが、たまたま良いなと思ったアイデアに集まったので、たくさんの人と話した中でこの人が良いからこの人に行くというよりは、面白いアイデアを出したここにみんな集まってみたというのが経緯ですね。

プランナー 雨宮澪

―制作の分担を教えてください。
石倉:固定した特化分野がなくて。朕佳さんがみんなで叩きたくなるような事象をバーンと言ってきて、「どういうこと?」「僕はこう思うんだけどね」みたいなことを四人でガンガンつめてコンセプトが出来上がってくる。僕もコンセプト作りもやりつつ、バックグラウンドはあるので技術検証を石射さんと一緒にやっていくとか、こういう方法があるんじゃないですか、とかいうのを考えていくって感じ。
松田:私は造形的なところをやっている。今回は新しいチャレンジというか、シリコンを使う課題をいただいて、材料の検証実験しながら作ってます。
石射:僕は基本的にはエンジニアリング全般とプロジェクトマネジメント―どう進めていくか、どこがマイルストーンか、どこを押さえておけばリスクヘッジになるか、全般的にみながら推し進めていく役割―、大きく分けて2つかな。
とはいえ僕がエンジニアリングの主役になると僕の限界がこのチームの限界になってしまうので、できそう、もしくはできる可能性のあるみんなに、できそうなところまで落とし込んでお願いして、みんなでやってもらって。すると、違う視点や意見をもらえるので、みんなに割り振る・集める・高さを上げることを、エンジニアリングを通してやっている
雨宮:このチームでは線引が曖昧で、「私はこれです」ってものは正直ないんですけど。
強いていうならば、まったく違う個性や価値観や立ち位置を4人が持っているので、コンセプトを作り上げていく段階がすごく長いんですね。合宿もしたりしながら、何を作っていくのかをずっとランダムに色々話していくんですけどその段階でのファシリテーションはできるだけ一歩前に出てやるようにしています。
具体的に言うと、朕佳さんはすごくアーティストとしての面白い見方や考え方を持っている。そういったものが場に出てきた時に、石倉さんは素直にそれを消化してまた場に戻す力がすごくあるので、できるだけそういうところが場にくるように。石射さんはエンジニアリングや人をまとめたり、そういったところが強いので、現実的にやるとしたらどうなのかを落とし込みつつも、仕事のプロジェクトみたいな形に終わらないように、できるだけクレイジーな方向みんなが思いもつかないような方向に行くように、言葉を使ってのプロジェクトの形作りを発展していけるように、とは非常に心がけている役割ですね。
石射:プロフェッショナルな部分は先行して誰かやるんですけど、それを任せっきりで受動的になるというよりも、一回出してみんなで揉む、それが造形であったり、プログラムであったり、コンセプトであったり、みんながやってて、明確な区切りってあまりないですね。
さっき石倉さんが言ったとおり、松田さんが出すものがキーになることが多いし、原石は松田さんあってのものだったりする。そこは役割分担というよりかなり明確です。ただ松田さんが出してくれるのは原石過ぎて、叩きどころが満載というか意味がわからないことが多いので、それをみんなで研磨していく作業が僕らのチームの面白さそこでどんどん良いものになっていると思っている。違った職・違ったバックグラウンドを持った人たちが集まって研磨をするから、面白いかたちのものが出来上がるんだろうな、と思います。

エンジニア 石射和明

―創作活動において大事にしていることを教えてください。
石倉:この一年ちょいやってて思ったのは、朕佳さんが叩きがいのあるボールをふっかけてくるんですよ、意味のわからないことを口走ってきたり、それをみんなで容赦なく納得するまで叩き潰すんですよ。それが僕は良いプロセスだと思っていて。朕佳さんも言い負けるわけではなくて、「こういうことじゃないんですか?」「こういう考え方だったら合ってます?」を延々と繰り返す体力がみんなあって、今回出す作品のコンセプトが決まるまでも、一年くらいの準備期間があったにも関わらず、固まるまで10ヶ月くらい行ったり来たりがあって、そこを妥協しない、グループで腑に落ちるところまで応酬を続けるのは、いい考え方だと思います。
石射:みんなが納得するまで話し合えるっていう建設的なこともできるのも、人の意見をみんな受け入れる姿勢を持っているっていうのも、たぶん素養のひとつだと思っていて。例えば松田朕佳という人間が「こういうのを作ります、考えました、これを手数出して作ってくれ」って言われたらみんな反発してうまくいかないと思うんですけど、「こういうのどう?」って投げた玉に対して、みんなで納得したから作ろうか、と動き出しができる。でも納得できるまでは動き出さないよ、だからちゃんと話そうねっていうのをきちんと進められるっていうのは良いことだと思うし、僕らの動き方として、それが正しいことだと思う。それができてるからこそ、僕らがこういうのを生み出せているんではないかな、と思う。
技能やバックグラウンドが違う人が集まってるのも大事にしているし、強みだと思う。普通に生活してたら交わるとこにいない。そこをクロスさせることで、初めて生まれる議題や表現方法が見つかる気がしていて、そういうちょっと違ったスキルを持った人がちゃんと建設的に受け入れ姿勢を持って喋ることができるだからこそなんかよくわからないけど、一人でやってたら生まれなかったものが生まれるから、そこは大事にしようね、っていうのはある気がします。

―過去作品について教えてください。
石射:“耳は聞きたい方の音に群がり、頭と切り離された口は好き勝手に喋って、呼吸をする必要がなくなった鼻は鼻息でティッシュ動かして遊ぶ”作品は、それぞれの元々持っていた、人間のために果たさなきゃいけない役割を一回解き放って、そのもってる機能で彼らが自由に遊び出す、解き放つ作品。
松田:個人が社会の一部として生きさせられてしまってるんじゃないか本来、そんなことする為にいるわけじゃないんじゃないかな、っていう。

―造形上・制御上の問題で、佐野誠テクニカルアドバイザーとお話をされました
松田:耐久性や関節の隙間の問題があって、自分で作るよりも外注した方が綺麗にできるんじゃないか、どうなんだろうというのもあったりして踏み切れなくて、相談というかお話を聞いてみたいなと思ってお会いしたんですけど、「失敗しても良いからとりあえず自分で手を動かして早く作りなさい」みたいに怒られて、「そんなのは、手を付けてみて何かしらその材料なり、なんなり知らない事には」という話をして頂いて、それはそうだなと思い直して作り始めた。
最初石膏で作ってたのを、「シリコンでやってみれば」という話で、やっぱり触ったことのない素材だし、中々踏み出せなかったんですけど、テストを重ねて出来てはきたんです。「やっぱりやるしかないよ」って言ってもらったのが良かったなと思って。
今、(駆動装置として)ロボット掃除機を買って石射さんに検証してもらってるんですけど、それもやっぱり「とにかく買ってやってみて、また問題が出たら次直して解決方法を探すという風にやってくもんじゃないの」っていう話だったので、その通りにやってます。心構えみたいな事を言われた感じでした。

 

―来館者へのメッセージをお願いします。
雨宮:このキューブを一歩外に出た時に、世界がちょっと違うふうに見える、そういうふうになることを願ってます。
全員:楽しんでいってください。

2016年11月26日 長野県信濃町にて

聞き手:伊藤、鳥羽


社会から与えられた役割から解き放たれると、日常に横たわる境界が混じりあい、奇妙で可能性に満ちた世界が現れる。<移動する主体 (カタツムリ)>は、その境界を越えさせてくれる作品です。お互いに認め合いつつ納得するまで話し合う4人の関係が、創作の原点を思い出させてくれるチームです。

作家紹介動画はこちら