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堀川すなおインタビュー「イメージの何がズレて何が共有されているか。頭の中を覗くようにキューブで表してみたい」

<モノについて>
私たちはモノの名前からその形をイメージし、そのイメージの差異は意識していません。しかし目の前にあるモノと、そのイメージは本当に同じなのでしょうか。他者に言葉を伝え、言葉がイメージに再変換される理解と共有の過程で何が起きているのか? 作家は、観察と分析を通じて、他者の頭の中を覗くがごとく、言葉からモノの姿を探求し、図面のように描き起こしていきます。


―応募のきっかけを教えてください。
堀川:友達が応募すると言って、岐阜県美術館に設置されているサンプルキューブを友達4人と車で見に行ったんです。その時の私の目的は「養老天命反転地」(岐阜県養老町)。出す予定はなかったんですが、実際にキューブを見ると、自分ならこんな展示が可能かなといろいろ想像していたら、面白くなってきて応募しました。

―テーマ「身体のゆくえ」をどのように解釈しましたか。
堀川:自分の制作は、何を理解し、それを他者とどのように共有しているかという記録を表現していますので、何を考えているかという思考回路の部分と、どういうふうに他者と伝わっているか、頭の中での行き来とか何がズレているかという部分に「身体のゆくえ」を関連づけてみました。

―キューブと作品構想の関係について教えてください。
堀川:何を理解しているかという自分の頭の部分と、他人と共有した行いの記録、そこから何がズレて、何が共有されてるかを、自分や他者の頭の中を覗くような感じで、キューブの中で表せたら。具体的には、そこに人が入る人がまた違うイメージを抱いたり、自分達の頭の中を覗いてるような空間にしたいと思っています。

―作品コンセプトに書かれた「観察と分析を通して本来の意味を探る」とはどういうことでしょう?
堀川:目の前にあるモノを実際に解かっているのか、という疑問から観察するようになりました。他の人と話をして、触った感覚とか、実際に自分の言ったことと他人が理解していることが合っているのかとか、何が伝わって何が伝わっていないのかをいろんな角度や距離から分析・観察したり記録したりして探っています。

―では、方法論ではなく、意味としての「本来の姿を探る」とは?
堀川:例えばバナナとかりんごの名前を聞いたときに浮かぶ簡単なイメージと、実際は全く違う。共有したり解ったと思っていることと、実際に目の前にある物の形の違いが何なのか、本当の姿っていうのは何なのだろうか、目の前に見えている物は何なんだろうというのからきています。

―興味が、他者がどう理解し共有しているかで、アウトプットが堀川さんだけの物というのはなぜでしょう。
堀川さん:なぜ最終的に自分の解釈になるのかといえば、色々な素材を集めたり話を聞いたりして、「自分がこう解釈した」っていうものを提示するのが、博物館に近い。今、博物館の研究のプロセスや展示がすごく面白いと思っています。例えばあるドイツ人学者が日本文化を定義付けて提示する。それを私たちは教養として学び、あたかもそれがそうじゃないかみたいに理解して共有しているところにすごい興味を持っていて。

―創作活動において大事にしていることは?
堀川:楽しむこと。制作する前に全部言葉で書いて計画を立てるんですけども、実際に計画が物凄く上手くいってても、楽しくなかったら止めます。「楽しいな」って思うことをやるのを大事にしてます。

―過去作品「バナナ」シリーズについて。なぜバナナなのでしょう?
堀川:日常的によく目にし、いろんな国にあるもので、名前を聞いてみんながひとつのイメージを思い浮かべやすいもの。例えばりんごだったら青と赤の色がある。でもバナナだったら一つのイメージを思い付きやすい。

―堀川さんの作品について教えていただけますか。
堀川:何でこんな設計図みたいな感じで描いているのかってよく聞かれるんですけども、例えばまっすぐ描きたかったり、円を描きたかったにしても、フリーハンドだとまっすぐ描けなかったり楕円になったりするので、“言葉のように線を書いてる”って自分では思ってます。
言葉って人に伝わる共通性があると思うんですね。だから、ドローイングを見たとき言葉を読んでいる感覚で共有しやすい、図面のような書き方で探っているんではないかなと思っています。

―ニューヨークのクーパーユニオン大学へ交換留学した経験は、今の創作活動にどのような影響を与えていますか。
堀川:クーパーユニオンに行っていたのは2008年の半年ですけども、行く前は全然違う作品を作っていて。クーパーに行ってから、今みたいな、身近なものを定規やコンパスを用いて描くようになりました。
理由は、言葉が通じにくい場所でも、そのモノの持ってる共通性や共通の使い方やイメージとか、言葉を越えてモノの持ってる強さがあるんじゃないかというのを探るために物を観察しだしました。

その後ポーラ美術振興財団の研究員としてニューヨークで再び研修で一年間滞在されています。先のニューヨーク滞在とご自身の感覚の部分で違う部分はありましたか。
堀川:ポーラ美術振興財団の助成金を頂いてニューヨークに行っていたのは1年間ですけども、目的がしっかりした中で行ったのが一番の違いです。目的は何かっていうと、何を理解して他者と共有しているかという自分の制作のテーマを、展示の仕方や空間の作り方、展示自体でも表せないかを考えるために行ってきました。

―「言葉・意味・理解」が堀川さんの創作においてキーワードのようですね。英語を話すことはご自身の制作と関連しているのでしょうか。
堀川さん:意識はしてないですけども、あるのかもしれないなと思ってます。昔からすごく外国に興味を持っていたので。違う言葉を話していたり、一つの事を幾通りでも言い表せたり、イメージの違いであったり、また同じものであったり、その伝わりにくさとか伝わりやすさ、ちょっとのすれ違いで起こる共有の仕方の違いや、変に解り合ったみたいな感じとか、それはいったい何なのかっていう部分に興味を持っています。

―作品が図面的ですね。図面的に美しいものを作りたいと思う?
堀川:昔から機械の図面が魅力的だな思ってて。元々、図面どおりに機械を組み合わせるのがものすごく得意で、何も考えなくても全部繋げて書けるんです。
何でこのやり方を使って描き続けているか自分で理解しないといけないと思って、(自作の)説明としては「言葉を別の言葉や別の視覚に置き換えたり、まっすぐをまっすぐに描いてる」といって、自分の中で腑に落として、(このような表現を)続けていっても疑問に思わなくしてるんですけど。

丸や線という言葉を実現するために製図用のサシを使っていますが、説明している人が「バナナの断面は丸い」「線が入ってて」という時点で、丸や線は、実は、正円や直線ではないですよね?
堀川:一つの言葉を再現する時に、なぜこの人は円をこの大きさにしたのか、大きくしたのか小さくしたのか、あるいはちょっと長細くしたのかという、一つの円をどう解釈するかや、前後の言葉によってどういう形の変化が起こっているのかに興味があって。なぜこの人はこの解釈をしたのかという部分を読み取っています。

―それがサシを使う理由でしょうか。
堀川:サシを使う理由は、直線と書かれたかれたときにサシを使って引くのが直線だと自分が思っていて、サシを使わずに線を描くと曲がった線や、ひょろひょろの線になるので、直線という言葉を視覚的に見える物にするために有効だと思うので道具を使っています。

―たとえば、「バナナの皮はまっすぐ剥ける」みたいな言葉があったとしたら、それは数学でいう直線でなく、断面が揺らいだりしている。それはすくい取らない?
堀川:それはまたディテールで書いてもらってます。書いてる人と書いてない人もいるんですけど、書いてない人はそれを見てない・処理をそこでしてしまっているということなので、それはまっすぐでいいと思う。ディテールを書いている人は、「まっすぐでよく見ると…」「まっすぐにはこういう物がついて見える」と被さってきます。
なので、見てる段階でモノをどう理解してるかっていうのが言葉で解り、それを言葉にして人に渡した時にそこでもどう見てるかというのが解ったりというのを表しています。

―小さい頃から、人が言っていることと自分がそれを聞いて理解したこと、あるいは、言葉にされないことや行間に含まれていることのズレが非常にあると感じた経験は強い方だと思いますか。
堀川:すごくあります。何を言ってるか解らないと言われました。私もあなたが何を言ってるか解らないと思いました (笑) 。

―アトリエがとても広々としていますが、作品は手元の緻密な作業が多いですね。
堀川:他者と何を共有し自分がどういう理解をしているかを探っているんですけど、それは頭の中のメモや記録なので、大きくする必要もないと思っているんですね。手元で自分の考えを発展したり考えを進めていったりすることがすごい重要だと思っている。手元の作業が向いているんだと思います。

―理系の思考回路を持ちつつ、美術制作をしている人のようですね。
堀川:例えば言葉だけでも他者との解釈の違いは表せるし、書いてもらったのをただ置いたら良いのかもしれないんですけど、どういうふうに自分たちの違いが出ているのかというのを、言葉でもなく別のメディアでもなく、図面的な要素を使い、平面を用いてできるのではないか。それが面白いんではないかと思っています。

―個展「ある視点」(2016,Ponto15)のオープニングで、コスプレしてバーのママに化けていた。同じ物だけど何かが変化して見た目が違うというのに興味がある?
堀川:まだ試しだったので、あまり真剣に理解しているか解らないですけど、本質の部分と表面をすくいとって見ている部分、どういう解釈がそこにあるのか、表面の事にあるのか、どういう要素を入れるとそのモノになるのかにすごい興味がある。例えば、一つの要素をフッと入れるだけで別のモノに見えたり、捉えられたりという部分が凄く面白いのかなと今の話を聞いて思いました。

―「大阪の発明家の家系に生まれる」という略歴。製図のようなアウトプットやモノを分解して考え、メカニカルに新しく提示するというのは血筋でしょうか?
堀川:発明家は祖父方のお父さんとその息子達。だから、実験台にされた話とかお父さんから良く話を聞いてたんです。例えば小さい頃は先生は絶対だけど、「人が言ってることは本当にそうか?」「自分がと考えたことは本当にそうなのか?」と父に言われたり。普段あるモノが完璧ではないと思っているんですね。まだまだ何か出来るものになるし、見えてるモノも一緒で、自分がこうだと思っていてもそれはただの思い込みであったりするのが、教えられてきたことに関係するかもしれないですね。

―ご自身が受けた影響があれば教えてください。
堀川:昔、機械屋さんが集まっている機械団地に住んでいたのがものすごく影響してると思います。1階は大型機械、マザーマシーンというんですけど、車を作ったりする大きい機械がごろごろ置いてある中で遊んでたり、その製図やパンフレットを見ていたので、どんな絵画や平面よりも、(製図は)平面だけど立体に捉えられるし、他人とあの図面だけで言葉を交わさなくても理解ができ合う解釈が出来るのに興味を持っています。昔からそれは凄いなと思ってる。

―来館者へのメッセージをお聞かせください。
堀川:自分が今までやってきた、自分が何を理解して他者と共有しているかを岐阜でワークショップをさせていただく中から、自分とは違うバックグラウンドを持っている人がどう解釈するか、どのように理解し合っているのかをやりたいなと思っています。岐阜の人と話し合ったり、昔から伝わっている岐阜の教育が図とか言葉に影響されるんじゃないかを知り、自分や他者の理解や解釈の仕方などを展示し、中を見た方々が自分ならこういう解釈じゃないか、こうなるのはなぜなのか、とか考えて頂けるような空間に出来ればなと思っています。

2016年11月23日 大阪市内のアトリエにて

聞き手:伊藤、鳥羽


モノを丹念に観察・記録し、実験的な平面作品を制作するという独自のスタイルの堀川すなおは、“相互理解とそのズレ”を主題としています。

2016年12月、堀川は、岐阜県高山市で子どもたち12名とワークショップを行いました。その後、1週間ほど高山市に滞在して街を丹念に歩き、教員や学芸員にもヒアリングを行っています。文化的背景の異なる地域からのアプローチで、どんなエッセンスを抽出するのか、興味深い発表となることでしょう。

(M.T)

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