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松本和子インタビュー「遠い誰かの記憶と繋がれるシェルターのような空間に」

〈透明の対話〉
古典技法であるフレスコ技法を用い、失われゆく記憶の断片や時代の気配を光のまく(膜・幕)で包むように描いた空間表現。変化し続ける時代や社会から影響を受けて彷徨う個人の意識の痕跡を昇華させるかのような光景に現れる様々なヴェールは、作家にとって他者との間にある共通感覚のようなもの。画面の表層を剝ぎ取って移すフレスコ画の修復技法によって、内壁と外壁で一対となったキューブ自体もヴェールの一部となり、「剥離と忘却」の痕跡が留められていく。


―応募のきっかけを教えてください。
松本:2016年6月の個展「愛好家の面影」の期間中に、フリーライターさんがSNSで「身体のゆくえ」というテーマの公募展があるとつぶやいていて、「個展で気づいたことを反映させた作品をつくりたい」と思って応募しました。

―松本さんの作品は、光と空気感を描いているように思います。キューブと作品構想との関係について教えてください。
松本:絵のモチーフが、西洋風のベッドやお風呂、そこに掛けられているカーテン、部屋を区切る窓、そこから差し込む光、いろんなまくや薄いヴェール、包むものや包まれたもの。それが布団やお風呂であったり、光や柔らかなヴェールであったり。身体を包むもの、包まれるものがモチーフになっています。
今回の展示では壁画の延長としてキューブがあると考え、キューブ自体もヴェールやまくそのものだと捉えているんです。薄いヴェールに包まれた空間から表面のまくを剥がす「ストラッポ(フレスコ画の彩色層のみを壁から剥がして別のところに貼り替える技法による作品)」をキューブと一体化させることにすごく意味があると思いました。それにより、失われた記憶の断片を想起できるような場所になればと思っています。

―テーマ「身体のゆくえ」をどのように解釈したのでしょうか。
松本:現代社会の中でインターネットやSNSが普及し、身体性を伴わない仮想体験も増えてきた。身近に誰かのプライベートな空間や生活が見えてくる中で、実際には体験はしてないけども、体験したかのような記憶が蓄積されていく。
キューブ自体を作品のヴェールやまくと捉えていると言いましたが、ある種、暴力的なやり方ではあるんですけど、ストラッポ技法によってまくを剥がし取るということも、そこに身体性を伴っていると思うのです。
公式サイトで鷲田清一さんが「キューブを身体そのものと捉える」とおっしゃっていたような、私は身体自体がまくに包まれた物であると考えているので、ちょっと近いかもしれない。

―作品タイトル〈透明の対話〉は、どのようにつけられましたか。
松本:モチーフである“光”の三原色が全て混ざると白・透明になることと、フレスコの白い漆喰が透明な塗膜に包まれて色彩が永遠に失われない仕組みであるということから“透明”のキーワードが出てきました。
「対話」は光やまくを通して、失われた遠い誰かの記憶に関わる、透明な存在(不在)と関わろうとする試みであるということから。

―作品のテーマ「剥離と忘却」についても教えてください。
松本:身体から離れてネットワーク上の仮想空間の中を彷徨い続ける個人の意識を剥がしたものと剥がされたものとし、それら忘却の連鎖がテーマに繋がっています。

―作品コンセプトで、「(フレスコ技法を用いることは)生き物のはじまりと終わりのような忘却の連鎖を身体的に表現することに繋がり、かつて古代の洞窟壁画でもそうだったように、人々が生きた時代の気配を遺すことができる」と書かれていますね。
松本:ラスコーの洞窟壁画やアルタミラの洞窟壁画も、個人が受けた社会や時代の影響を壁画として残していった。フレスコ技法は500年や1000年経っても色彩が失われない技法。私も古代の人と同じように社会や時代の影響を受けて剥離した個人の意識や記憶を、包み込まれるような空間を表現できればと思っています。

―普段の創作活動において大切にされていることは?
松本:時代や情報に流されないことが大事ではあるんですけど、個人の記憶が誰かの記憶と繋がるということには意味があるのではと思っていて、そこには自分の幼少期の記憶として木漏れ日を浴びたり、窓から差し込んでカーテンが揺れて光に包まれるような感覚が今でも残っていて、それらを忘れないようにしています。柔らかい光や布団に包まれる感覚、そこで独り静かに考え事をしたり過去の事を考えたりすることは、他の人とも共通するような感覚なのではないでしょうか。
新しいものがどんどん生み続けられ、それが繰り返し更新されていく社会ですけど、その中でただそれらに流されていくだけではなく、個人の視点から何が大切なものか、失われていくものの中に大切なものは本当にないのかということを見つめながら制作しています。

―フレスコ画で制作をされるきっかけと理由を教えてください。
松本:通っていた京都市立芸術大学には壁画制作室があり、そこでフレスコ画を学びました。フレスコは今となってはあまり使われていない技法ですが、私は昔から古いものや失われていくものに関心があって、懐かしさを感じさせるものたちの役割の様なものがフレスコ画で表せるのではと思いました。

―もっと踏み込んで、フレスコ画の特徴の何が松本さんにとってピンときたのでしょうか
松本:前はアクリル絵具や油絵具を使っていました。壁画自体はアクリルでも油でも描けるんですけど、フレスコのベースとなる漆喰は自然素材である砂と水と石灰からできていて、素材そのものが生き物の始まりと終わりに密に関わっている。生き物は土と水から生まれ、死んだら灰となり土に還る。それらのシンプルな素材からできる漆喰を壁に塗り広げ、漆喰が乾く前に水溶きの顔料を染み込ませるようにして絵画空間をつくれる、という技法そのものに身体的な可能性を感じています。

―大学に漆喰壁があった環境が松本さんの創作活動に与えた影響があればお聞かせください。
松本:大学の壁画制作室はほとんどの壁が赤レンガに包まれていて、下塗り漆喰・中塗り漆喰・上塗り漆喰の三層に塗っていくというフレスコ本来の描き方ができる構造となってます。初めはその漆喰に囲まれた空間自体に圧倒されました。
今の制作場所は京都市内にある小学校に変わったのですが、小学校にはレンガの壁がないので、仮設壁を作ったり、市販の断熱材などをレンガ壁の代わりにして制作しています。小学校での制作では、自分の制作そのものや美術のあり方自体を、子どもたちが感じていることや考えることを通して省みる機会になり、刺激に繋がっています。

―過去作品〈愛好家の面影〉についてお聞かせください。
松本:〈愛好家の面影〉は2016年6月に行なっていた個展のタイトルでもあります。今回展示をするキューブの一面の中にもその作品の一部が入っています。“愛好家”が誰かというのは実在するんですが、その人物が居た気配や彼が大切にしていたものをひとつの部屋として描いています。

―差し支えなければ“誰か”というのは?
松本:ピエール・ボナールというフランスの印象派の画家。彼は奥さんのマルタをよくモデルにして描いていたんですけど、奥さんは精神病を煩っていて、一日中のほとんどを浴室で過ごし、シャワーを浴びていたんです。そんな彼女をボナールは愛し、描き続けていた。どこか現実離れしたその光景や過去の話も、日本にいても今だからこそ知ることができる。彼の記憶を借りて私の記憶や大事にしたいものと(絵を描くこと自体そうですけど)繋がれたらと思って、ボナールをモチーフに描きました。

― SNSの仮想体験を否定せず繋がる意識と、ボナールや古代洞窟に惹かれる感性。混ざり合った意識ですね。
松本:自分の体験だけを作品に表現して「自分を見てください」という作家ではなくて、流れていく時代の気配や歴史、SNSの誰かの体験を自分のこととして置き換え疑似体験して懐かしさを感じるというか、今自分が生きているから過去を振り返れるとか、そういうところはありますね。

―同系色でまとめていく色彩。松本さんのテーマである忘却や、剥がすことにより薄塗りになることも関係があるのでしょうか?
松本:そうですね。剥がすことによって剥離する所、はげ落ちてしまう所もあります。人為的にではあるんですけど、ボロボロになったり色が薄くなったり、日によって漆喰の状態も変わるので色も変化します。それをポジティブに捉えて、場所によって色が変わるというのを、過去を思い出した時に記憶の断片のイメージが変わっている・薄く感じることや、青写真を見た時に感じる感覚のようなことが、フレスコの色彩で表せたら良いかなと思います。

―応募企画書に示してくれた作品イメージが青っぽかったですね。
松本:水のイメージから青という色が出てきました。最初に〈愛好家の面影〉という作品があり、ボナールの奥さんの入っていたお風呂の空間のイメージ、水に乱反射した光や水の色から青色のイメージが出てきて。それと、清流の国ぎふっていう言葉を聞いた時に凄く瑞々しい印象を感じて、青がぴったりだと思いました。

―Art Award IN THE CUBE 2017での新しい挑戦があれば教えてください。
松本:普段、平面作家として活動していて、美術館やホワイトキューブで展示することが多いのですが、その場合は内側の平面の壁だけでしか展示ができない。今回のキューブは内と外、両方とも展示できますよね。約60センチの正方形の漆喰パネル150枚にフレスコ画を描いて、さらにそれぞれの表面を剥ぎ取り、キューブの内側には剥ぎ取ってまくとなったものを、外側には剥ぎ取られ茫漠と残った漆喰パネルを展示することでューブ自体がまくとなる。それが一つの新しい試みです。

ブオンフレスコとストラッポをセットで壁の内と外に展示した経験はありましたか。募集を見た時にすぐ思いついたのでしょうか。
松本:何回か考えましたね。お風呂に入っているときに思いつきました。ブオンフレスコとストラッポを横に一緒に並べたことはありましたが、それを内と外という形で展示するのは初めてです。

―来館者へのメッセージをお願いします。
松本:いろいろな情報や記憶が失われ続ける現代において、シェルターのようなプライベートな空間、親密な気配や痕跡のまくの中で遠い誰かの記憶と繋がれるような場所になればと思います。

11月22日 渉成小学校にて

聞き手:伊藤、鳥羽


過去と現在の記憶、他者と自身の記憶を巡る作品です。古典技法が孕む“剥離”という儚さを忘却に、それでいて何百年も残り続ける強固さを“対話”に読み替えた、現代の視点からのアプローチ。作家自身にもキューブという展示形式にも新鮮な方向性を示す場となることでしょう。

(M.T)

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