記事


中村潤インタビュー「中から縫う作業が箱の外にも影響し、見上げたり、歩いたり、身体を使って見る作品」

<縫いの造形>
紙を糸で縫ってキューブと同じ大きさの紙袋をつくり、キューブの壁と縫い合わせ、襞や折れ目を生み出す。糸、運針の感覚、光、透けた紙に浮き上がる縫い目、手触り、縫うという行為、その時間が溶け合って、記憶を掘り起こし、身体の知覚の少し先にある「記憶」や「経験」を呼び起します。


―応募のきっかけを教えていただけますか。
中村:たまにチェックしているArt Annual onlineというサイトにこの企画が出ていて、面白そうですし、審査員の名前を見て、この方々に見てもらえたらと思って応募しました。

―テーマ「身体のゆくえ」をどのように解釈しましたか。
中村:「身体のゆくえ」というからには、身体そのものではなく身体から少し先のものを想像しました。縫うとか編むとか手を使う行為から出てくる縫い跡など手の気配がする物、ずっと続いていく作業性に「身体のゆくえ」を見られるんじゃないか。作品の縫い目・縫い跡を作った時の記憶・その時に流れている時間とか記憶が「身体のゆくえ」として捉えられる。
作業している「私のゆくえ」があって、「私のゆくえ」と「他者のゆくえ」は交差するのか並走するのか解らないんですけど、それがどうなるか作品を作り、置くことで探っていけるんじゃないかな。

中村さんにとって縫うという行為はどのような意味を持っていますか。
中村:最近、縫う行為が作品で続いてるんですけど、糸が上から出て、入って、また出て、っていう行ったり来たりする作業性がとても気に入っていて。糸を切ってまた続きを始める手の連続や、手を動かした分だけ増えていったり、ピューッと解くとまた元に戻って無かったかのように消えたりっていうのが面白いと思います。
縫うと構造が生まれたり、長い物と絡まっていく関係性も面白く感じてますし、自分の中で作業がしやすいという点でも気に入ってる技術です。

―キューブと作品の関係についてお聞かせください。
中村:箱1個使って展示と聞いた時に、「箱の中だけの話ではないな」と一番に思った。箱の内側があるということは外側もあるし、天井や入り口という要素もあるので、箱丸ごと1個が作品になるような物は出来ないかなと考えました。

キューブ本体にキューブと同サイズの大きな袋を縫い合わせる作品
中村:壁と紙自体を縫い合わせる所と、隙間が出来て、紙に縫った縫い目が表と裏、内側と外側どちらからも見えるような状況になります。光を透かして、両方の縫い目がパーッと大きい物を透かしてみるような作品になるかな。

作品づくりや創作活動において大事にしていることはなんでしょうか。
中村:どんな作品を作る時でも、身体感覚を頼りにしているので、材料の重さや軽さ、素材と手の仕事の組み合わせで面白いものが出来ないかなと日々考えている。
物を1個置くと、それが大きいと跨ぐのか避ける物なのか見上げるのか、小さいとぐっと見るのかなど、自分の行動が変わったり影響されたりを大事にしたい。
編んだり縫ったりってのも、手の跡がどんどん増えていったり密になっていったり、何となく見ちゃうとか触りたくなっちゃうのが自分にとって自然で、そういうのを大切にと思っています。

―おばあさまが3年前に亡くなられ、遺品や記憶が制作のきっかけとなったということですが、作品自体は思い出のモニュメントではないということですね。詳しく教えていただけますか。
中村:「身体のゆくえ」を作業性や記憶と捉え、そのコンセプトを何を話題にすれば第三者に届くか、伝わりやすいかなと考えたのが出てきたのが祖母の話だった。祖母の死とか祖母のものが周りにあることがきっかけでこの作品が出来たという訳ではなく、例として上げた。
小さい頃に祖母が作った服を着ていたとか、編み物を祖母に教わったということはあるんですけど。例えば、祖母の亡くなる前から、祖母の服を気に入って、「借りるで」と言って着ていたとか、記憶のつながりや縫うという行為の、私と祖母の関係は私の物でしかない。縫うこと自体の持ってる背景とか、糸の性質や意味みたいなもの、縫うことや糸から感じ取る他者の視点が別に存在していることを考えつつ、私は私なりの縫うことや糸と紙のことを考えながら作っている。

―過去作品について教えてください。
中村:自分が呑み込まれる位大きい物を目指してトイレットペーパーを編んでいました。それまでは普通の毛糸を編んでたんですけど、ちょっとずつしか出来上がらないので、「軽くてすぐ手に入ってすぐ大きくなるものは何かな」と考えてトイレットペーパーで編んでみようかって。どんどんどんどんボリュームも出てきたり、触ったら知ってる感触だったり。「これ何とかならないかな」って大きくして、1階と2階を使って空間自体を繋ぐために編み物を使うとか、素材と身体と柔軟にくっつき合った作品になったなと、それは気に入ってました。
今は、その延長上で「編み」や「縫い」の構造が大きくなった物を作っていて、手の中で素材をいろいろ転がし、絡め合わせながら楽しくやっていくというところは共通しています

―美濃和紙の里会館(岐阜県美濃市)で、展示とワークショップをしたことがあるのですね。
中村:トイレットペーパーを編んでいたのが大学院生の頃だったんですけど、院の後輩の実家が岐阜県でトイレットペーパーの工場をしていて、作っている所が見たいなと思って工場見学をさせてもらって。その後輩のお母さんが、美濃和紙の里会館を紹介してくださって、それが縁で展覧会やワークショップをさせて頂いた。

―紙や糸など、さまざまな素材で「編む」創作を行っているのですね。今後挑戦してみたい素材はありますか?
中村:最近編んだり縫ったりが続いているんですけど、いつも素材と技術とのいい組み合わせがないかなと思っていて。仕事したり歩いたりバス乗ったりしてる合間も、何かこれで出来るんじゃないかなとふと考えたり、目に入ったもので何か面白いものはないかとかという感じなので、これを編みたいというのはあまり無いです。

―「縫う作業の楽しさ」や「身近で何かを作業をし続けたい」思いから創作行為が発しているのですね。
中村:夏休みの工作とか宿題の延長みたいな。なんかこれ使えるんじゃないかなと思って置いておく物がたくさんあったり、たまたまあったチラシをしゃべりながら折り始めたりとか、使い終わった糸の端っこがどうしても捨てられずに置いていたり、「これいけるかな、いける!」って思ったらそこから作品が始まる。完成形をこうなるだろうと思って作っていない時も多い。

―お祖母さまと暮らしていたり、手作りの洋服を着ているなど、常に手芸が身近にある環境は影響がある?
中村:中学生までは団地住まい。自然の中で、「あそこの木は木の実が美味しくなってる」とか情報交換をしたり、何か拾ってきたりながら遊んでいた。その頃のものが捨てられなかったり、拾ったりは変わってなくて。だから「作ってみたい」「これやってみたい」とか、「自分で作ったら何とかなるか」ってところはもしかしたら祖母や祖父の影響があったかもしれないですね。母の古くなった服の使える部分を使ってワンピースを作ったということを大人になってから聞くと、ああそうだったのかと面白く感じているので、何となく捨てられないという性分が私にも伝わってるかな。

―来館者へのメッセージをお願いします。
中村:箱と同じ大きさの紙袋を箱の中の壁自体に縫い合わせていく。外の状態が解らないまま中から縫っていく作業が箱の外側にも影響をして何かが出来上がるという作品なので、見上げたり、外も歩いたり、また中に入ったり、身体を使って歩きながら見ていける作品が出来たら良いなと思っています。

11月19日 京都市内にて

聞き手:伊藤、鳥羽


太めの糸で大きな紙を刺し子のように縫い、キューブと同じ大きさの紙袋をつくる。それをキューブ本体に縫い合わせることで構造が生まれ、シワやヒダ、折れ目ができる。紙がキューブの天井となって、光を透かし、縫い目が見える作品です。

ぜひ、キューブを見上げたり周りを歩いて楽しみ、縫い目を見つめ、作品を体感してみてください。

(M.T)

作家紹介動画はこちら