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平野真美インタビュー「ユニコーンを生き返らせるのは私独自の物語でなくて、あらゆる人に共通する物語」

<蘇生するユニコーン>
幼い頃実在すると信じていた架空の生物は、存在を否定され、現実世界で居場所を失い人々の脳内で息絶え屍となって横たわっています。<蘇生するユニコーン>は、非実在生物であるユニコーンの、骨格・内臓・筋肉・皮膚など身体のあらゆる部位を制作し、肺に空気を送り、心臓と血管に血液循環を行うことで、純真さの象徴であるユニコーンを作家の手で実在させる作品です。それは私達が気付かぬうちに失った夢や希望・幻想を蘇生させる瞬間でもあるのです。


―応募のきっかけを教えてください。
平野:最初はネットで知りました。その頃すでにユニコーンの作品を作り始めていたんだけど、3331 Arts Chiyodaで(このコンペの)トークショーがあると知って行ってみたら、作る過程で必要になってくるだろうと思っていた専門的な制作のアドバイスが得られて制作費援助もしてもらえるというので、この作品にはぴったりだなと思って応募しました。

―テーマ「身体のゆくえ」をどのように解釈しましたか。
平野:質問からずれるかもしれないんですけど、私の場合、最初にこういう物を作りたいなと完成図のようなものが思い浮かんで、作っているうちになぜそれを作りたいのか段階的に分かってくるんです。
芸大を卒業して社会人になって、仕事をしつつ制作もしていた中で、ある時瀕死状態のユニコーンが手術室のような所で横たわっている姿が思い浮かんで。その時、「ユニコーンを生き返らせたい、生き返らせなければいけない」という気持ちになったと同時に「どうしてこのユニコーンは瀕死状態でいるのか」という問いも浮かびました。
ユニコーンは純潔や純真さ、夢とか希望の象徴ですよね。日常を送るうちに夢や希望を失ったことで、その象徴であるユニコーンも瀕死状態になったとしたら、ユニコーンを殺したのは私自身だろうという気持ちになって、「だから生き返らせないといけないのか」と少し納得しました。
夢とか希望とか、それらを失ったことを社会のせいにしているんではなくて、歳を重ねることで、知識や経験が増えたり、または大切な人やものを失ったりすることで、もう昔のまままではいられないような、変わりたくないことまで変わってしまったりすることもあると思うんですね。そういうものに抵抗したい気持ちもあったのかなと思います。
ユニコーンを生き返らせるということは、気づかない内に失ってしまった夢や希望を蘇生させることになると思ったんです。

 

夢や希望を感じられなくなり、それによってその象徴であるユニコーンを殺してしまって、ユニコーンを蘇生させることで、失ったものを復活させたい。これは私の物語だけど、もしかしたら、傲慢な考えですが、鑑賞者の皆さんにも当てはまる話になるかもしれないですね。
ユニコーンはキューブの中で生命維持装置に繋がれた状態で展示されるので、ユニコーンと対峙することで、もしかしたら私のように、脳内で死んでしまったユニコーンの存在に気づくかもしれない。その時私たちは、これから何とかしてユニコーンが生きやすい環境、つまり夢や希望を保てるように、心の中で生かし続けることも出来るし、または日常生活の中で夢や希望を持ち続けることが難しい、苦しいなら、生命維持装置を外して安楽死させることもできるかもしれない。または私みたいに生命維持装置に繋いででも、例えそれがユニコーンにとっては辛い状況でも、命を繋げることも出来ると思う。それが、私や鑑賞者の方々がこの作品で共有できる「身体のゆくえ」かもしれないですね。

でも、今このユニコーンを制作していて一番興味があるのは、そういった精神的な存在のユニコーンではなく、“物”としてのユニコーンがこれからどう生きて、どう死んでいくのかってことなんです。
ユニコーンは、樹脂・シリコン・ラテックスとかそういう素材で作っていて、例えば絵画は保存がきいて、いつの時代でも破損さえしなければ絵として存在できるけど、この作品はそういう面で危うさがあって。これから年月が経って、ラテックスで作った肺のゴムが劣化して固くなり、思うように肺に空気が入らず呼吸の動作が出来なくなったら、“物”としてのユニコーンは死んでいってしまうのかとか。完成後も「身体のゆくえ」というテーマがユニコーンに付随していくものだと思います。

―瀕死状態のユニコーンの存在は物体としてあるけれど、精神的な存在でもある。テーマ「身体のゆくえ」は、物体がどう劣化していくのか=ユニコーンがどう死んでいくのか?でもある。
平野:「身体のゆくえ」という言葉を聞いて、どこからが「身体」なのか、またどこまでが「ゆくえ」なのかを考えたんです。
生命が発生した細胞の時点で「身体」と呼べるのか、生命が発生してから滅んでいくまでが「ゆくえ」なのか、肉体が滅んで、誰かの精神の中にだけ存在する実態のない姿になるその「ゆくえ」か。この作品ではいろんな解釈が出来ると思うんだけど、この制作で、私は最初に骨格を作ったんですね。それは、生物は肉体が滅んだら最終的に骨が残るから、骨から作ることが死から生に向かう、蘇生の過程にふさわしいと思ったからだけど、思えばその時から「身体のゆくえ」は始まっていて、骨が出来て内蔵が出来て、生命維持装置に繋がれて、キューブの中に入って鑑賞者に会って、展示が終わって、ユニコーンが物としてどう滅んでいくか、〈蘇生するユニコーン〉はその全てが「身体のゆくえ」に当てはまってしまうので、その上でどこに焦点を定めるか、もう少し考えを深めたいと思っています。

―キューブと作品構想の関係を教えてください。
平野:キューブの中は、直接的ではないにしろ、緊急手術室を彷彿とさせるものにしようと思っているんです。それは私や鑑賞者の脳内にある緊急手術室でもあって、自分の中で死んでしまったユニコーンと強制的に対面させられる場所でもあるんですね。鑑賞者がキューブに入って瀕死状態のユニコーンに直面した時に、頭の中で死体となって横たわっているユニコーンと対峙する。
自分の中にある夢や希望を維持するために、ユニコーンの生命を維持するか、または安楽死させるか、そういう体験をさせる、させてしまうような場所。キューブは、そういう問いに直面するような装置として考えていますね。

―数ある「非実在生物」の中で、ユニコーンを選んだ理由とは。
平野:最初はユニコーンが浮かんだ理由が分からなかったんですが、作っていくうちにどうしてなのかが解ってきて。ユニコーンは夢や希望の象徴であると同時に、純粋さ・純潔さ・純真さの象徴ですよね。ユニコーンを無意識的に選んだのは、そういったユニコーンの特徴に惹かれたのかもしれません。それは、何も知らない、何も経験していないから当然傷ついていない状態で、だから輝いて見える純真さよりも、いろんなことを経験し歳を取り、辛い経験や挫折を重ねても、それでも決して傷付くことのない強さの象徴としてのものだと思います。
私の悪いところで、「あれはこういうものだからこうだろう」「あれはこうだから出来ない」「あの人はこういう人だよね」という決めつけ・諦めのようなものを自然に考えてものを知った様な気になっているんですけど、でもいろんなものを知って経験して見聞を広めて諦めを感じても、そこで諦めるのではなく、例え綺麗事だと言われたり、笑われたり少し引かれたりしても、希望溢れるものを信じていくことに憧れがあります。そういうものこそが純真さだと思うので、ユニコーンを選んだのかもしれないですね。

―「蘇生」とは平野さんにとってどういった意味を持ちますか。
平野:ユニコーンと直接的に関係しているのは、〈保存と再現〉(2013)という作品です。実家で一緒に暮らしていた、りんという犬がいて、脊髄の病気で5年間闘病していたんです。自分で身体を動かせない寝たきりの状態で、でも食欲があり生きる意志を感じたので、ご飯をスプーンで口まで運んで食べさせてあげたり、スポイトで水を飲ませたり、本当に家族に愛されて過ごしていました。私もりんのことがすごく好きで、本当に大好きで可愛くて、生きていて欲しい、ずっとそばにいて欲しいと思っていたんです。
そういう時に、まずりんの設計図を作って、骨格を粘土で作って、内臓や筋肉を作って、肺にコンプレッサーで空気を送り、呼吸をさせて、この世に“物”として残す作品を作ったんですね。その作品が、今の〈蘇生するユニコーン〉の制作方法の基になったと思います。
蘇生は希望の象徴というか、かなりポジティブなイメージをもっていて。この作品も制作を進めるうち内臓や筋肉を作ったりしてどんどんグロテスクになって、敬遠されたり拒否反応を示されることもあると思うんですけど、私はその段階も必要なものだと思っているんです。なぜなら夢や希望を語る時に、綺麗事や絵空事だけではなくて、辛く悲しい直視できないような現実を知った上で、それでも夢とか希望を信じることが大事だなと思っているからです、そういうグロテスクだったりマイナスな状況も含めて、プラスな方向に持っていくのが「蘇生」ということだと思いますね。

〈保存と再現〉(2013)

―創作活動において大事にしていることを教えてください。
平野:作品が思い浮かび、制作するために手を動かしていると、どうしても作り方が解らないとかで周囲の方々からアドバイスを得たり、本で知識を深めたりして、こうやって作れば良いのか、だからこれを作りたかったかのという発見とか、制作過程で経験を積んでいく姿がSFとかファンタジー小説の物語性と近いと思っているんです。そういう制作方法はとても楽しくて、この制作部屋もおもちゃとか映画に出てくる道具のレプリカだらけだけど、物語と同じように話を進めて、最終的に作品が完成するという制作方法が、自分にとって楽しいし重要だと思います。

アーティストサポートの岐阜大学応用生物科学部での経験はいかがでしたか。

平野:岐阜大学で高須先生や牧場の方々に話を聞いたことは、まさにファンタジー小説の中で、先人に話をきいて見聞を広め色んな選択をし答えに近付いていくようで、そういう経験ができたことはすごく嬉しかったです。こういう機会は今後も大事にしていきたいし、またお話したいですね。

 リンク:記事「制作支援=岐阜大学応用生物化学へ〈蘇生するユニコーン〉」

―岐阜大の先生も「こんな細かい所まで知っているのか、独学でよくぞここまで」と驚いていました。
平野:先生方が扱う話と私が話したいことととすごくギャップがあって、それが凄く新鮮だったし知らないことだらけで、お話できてすごく良かったです。その時見た物や先生のお話が、直接作品に影響を与えている箇所もたくさんあります。

―技術的に高度な作品ですね。コンセプトと技術のバランスをどのように取りながら制作をしているのでしょうか。
平野:私がこの作品について話す時に言う「骨を作っている」「内臓を作っている」と言うのは、あくまで表面的な形を追っているということなんですね。この作品で言う骨や内蔵は、骨の形・内蔵の形をした、表層的な物でしかないんです。細胞レベルでどうこうするような人工生命とは全くかけ離れたものなんですね。
例えば本やネットや標本で肺の形を知って、粘土で原型を作って石膏で型取りし、ラテックスを流し込んで成形します。その時、肺の中心に型取りした跡が現れるんですが、それを完全に消さないでわざと残していて、そういうのが「物」として作っている感じがして面白いなと思います。
だから、これから「物」としてのユニコーンがどう滅んでいくか、死んでいくかにすごく興味があります。

―今後制作してみたい別の生物が頭の中にありますか。
平野:こういう手法を使ってまた別の空想上の生物を作るというのは今は考えてないんです。
でも、テーマパークのアトラクションで機械仕掛けで動いている人形に使われているアニマトロニクスという技術があるんですけど、前からすごく興味があって、やってみたいなと思っています。具体的な構想もあって、ユニコーンの制作が終わったら作り始めると思います。

―来館者へのメッセージをお願いします。
平野:キューブという装置の中に入って体験することで、鑑賞者の方も直接的に制作に関わる作品になると思うので、キューブの中で作品をみて、呼吸をしているユニコーンと対峙してもらえたらと思っています。

2016年11月7日 東京都内のアトリエにて

聞き手:伊藤、鳥羽


制作しながら、若い作家自身が、制作動機や意味を探っている作品です。といっても作家の葛藤や夢が再構成された、自己探求の作品というわけではありません。観る人を受け取るのは、理屈抜きの身体的感覚となることでしょう。人それぞれのストーリーを掘り起し、内面と向き合わせてくれる作品が期待されます。

(M.T)

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