アーティスト
二次審査講評
- 遠藤 利克
- われわれは言語的存在であり、それゆえに、美術作品といえども概念的枠組みの包囲を免れることはできない。とはいえ、作る側にとっても、見る側にとっても、美術作品は、生の全体性として体験される時にのみ、固有の質として現れ得るといえる。
そして、全体性的体験に至ることを目途とするかぎり、ほんの僅かではあってもその枠組みを突き抜けて、向こう側の次元へと出現することが要請される。
一定のサイズのキューブが条件として与えられ、各作家の思考はより明確なものとして伝播する。それがこの企画のユニークなところだが、今回展で明らかになったのは、“概念”の枠組みを突破することの困難さの方であった。
唯一、川角岳大の「私たちの知らない犬」のみが、その壁、つまり“説明の言語”の壁を微かながら超えていきそうな気配を漂わせていて、希望を懐かせた。今後、突き抜けた向こう側に広がる領域こそが、エロチシズムの時空であるという、薄明の知覚が訪れるならばと・・。
- 川口 隆夫
- プシューッ音とともにオープンキューブ内に宙づりになったいくつかのエアポンプがわずかに伸縮し、連結されたワイヤーが引っ張られて奇妙なジャングルジムのような構造体が蠕動する。手足を失った人がないはずの手足に感じる感覚(幻肢痛)の神経伝達信号に反応して動くこのファントムロボットが、ひょっとしたらそのままキューブから出て行って岐阜の山々を登っていくのではと想像させワクワク。繊細な動きや感覚の記憶が壮大な風景の中に解き放たれて、爽快!これほど愛くるしくかつ切ないロボットを私は見たことがない。失われた四肢のダンス。私もこんなダンスが踊りたい。
AAIC2020 展全部を見終わってとにかく楽しかった。来て本当によかった。世界は今、未曾有の危機に直面している。そして駄目押しの非常事態。ようやく開催にこぎつけた本展、そして本作は、窒息寸前の私たちを優しさに満ちた爽やかな初夏のピクニックへ連れ出してくれた。
- 篠原 資明
- コンセプトと作品とのあいだに多少とも乖離があるというのは、ありがちなことだが、今回の展示作を目にして、あらためて痛感した次第である。ただ、素材の選択と手法の点で、有無をいわせぬ独創性を感じさせたのは、竹中美幸だった。映画用のフィルムという、いまや過去の遺物に追いやられつつある素材を用いて、光の痕跡と音の記憶を提示しようとした作品は、記憶のゆくえというテーマにふさわしく、審査員賞として推させていただいた。また、コンセプト審査の段階では見過ごしていた保良雄の作品は、ピリッとした空間の中で、久しぶりにゾクッとした感動を味わわせられた。そんな中、コンセプトも作品も興味深かった例として、大西康明の展示も挙げておきたい。
ほかに、コンセプトは興味深いのに、実際の作品では、うまく作動しないものや、あらが目につくものもあった。意欲的な試みも多かっただけに、残念な思いをしたことも言い添えておきたい。
- 高嶺 格
- (コロナで諸々の日程が変更になった。日程変更によって生じた個々の作家への影響については憂慮するものの、審査自体に特別な影響はなかったと思う。以下個別評と所感。)
山本+姫野氏の「石斧」。ザ・彫刻の素材(石と木)を使い、こんなに柔軟な表現ができるのかという驚き。一人で考え込んでいない空気感もいい。しかもその軽さ(実際の作品は重たいのに、なぜか軽い)を、作品のフォルムよりもむしろ態度で示している点が良い。
川角氏。どの方角から見ても絵になるインスタレーション。「自分の飼っていた犬」にモチーフを集約するあたりを含め、状況を俯瞰的に見る視点と大胆さを持っていると感じた。
森本氏。アートの外から投げ込まれた爆弾のようで、作者の脳の薄皮をおそるおそるめくりながら鑑賞するような緊張感がある。コメントが難しいが最も困惑させられたため審査員賞とした。
他にも特筆すべき作品は多く、展覧会として充実していた。作品を見た観者の想像力が、定められた空間を離れてどれだけ膨らむかを基準に審査した。
- 福岡 伸一
- 与えられた直方体空間に作家がそれぞれ独自の小宇宙を創出してみせる。今年のテーマは「記憶のゆくえ」。
記憶とは何か。生物学的には、記憶に物質的な根拠は何もないことがわかっている。つまり、脳の奥深くにミクロなビデオテープが保存されているわけではない。むしろ記憶とは、思い出すたびに新たに作られるものであり、一回限りの、はかない電気的現象にすぎない。
なので、生物学者としての私は、記憶を、動的で、不安定で、たえず移ろいつつ、あやういバランスの上に現れるもの、ーちょうど宮沢賢治が言うところの「仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明」のような何かー、としてイメージした作品を面白いと感じ、審査することにした。一方で、記憶は、やがては必ず滅び去る私たちの人生を支えるなにものかでもある。「記憶は死に対する部分的な勝利だ」これはカズオ・イシグロが私に教えてくれた言葉である。
- 藤森 照信
- 現代美術の審査は当りハズレが大きく、一作でも心に残るものがあれば審査したカイがあるというものだが、今回は〈石斧をモチーフにした石斧の彫刻〉と〈質量保存の法則〉と〈時間の溝〉が良かった。
猿の段階でも棒と石は道具として使われていることが判明しているが、棒と石を組み合わせて出来る石斧は、人類の段階で初めて出現し、人類は石斧を振るって以後の人間への道を切り拓いている。
その石斧をテーマにしてこんなに変化に富み、かつ力強い表現が可能になるとは思ってもいなかった。人間と木(棒)と石、この三つの組み合わせの中には人が物を作ったり表現したりすることの本質が潜んでいる。このことを気付かせてくれる作品で、大賞に値すると考えた。
〈質量保存の法則〉は、ベンチに腰かけて眺めていると、子供に帰ったような気分になり、飽きなかったので、審査員賞とした。
- 村瀬 恭子
- 自粛生活から放たれ美術館に着くと「知人の家」のように CUBES が私を招き入れ、再会するような感覚だった。《そして、「宇宙の子」は、自ら造った「仄かに酔っている AI」と対決する。》へ入り込めば、微かに漂う電子音と書き留められた言葉が祭壇上?のおびただしい魂を見事に昇華させ、明日の方向を示していた。個人賞の《Repeat》では、正面の少女が私に語りかけ、奥の鏡に映る作者?が観客と同調していく構造に親密さが増し、左右に鏡面する映像へのアクションもダイナミックで身体に宿る記憶がダンサーによってチャーミングにリレーされ、離れ難い空間となっていた。プランとは異なる展開を見せた《私たちの知らない犬》に至っては、もはや「家」でもなくやたら見晴らしの良い「風景」がそこに立ち上がり、作家のジャンプ力がとても清々しかった。プリミディヴなエネルギーを信じたくなるような 1 日を過ごし、受け取った数々の記憶を細胞に反芻させながら豊かな気持ちで帰路についたのだ。